こんにちは。
みなさん点字はご存知だと思いますが
実際に点字に触れたりしたことはありますか?
わたしはたまに図書館で点字図書をさわったりすることはありますが
この「ぶつぶつ」を触っただけで違いがわかるのかしら
といつも不思議なんです。
点字とは?
点字は指先の触感で読み取る視覚障害者用の文字です。
平面から盛り上がった部分によって文字や数字を表現していて、
通常横2×縦3の6つの点で表された『ブライユ式点字』が用いられています。
この6つの点でかな、数字、アルファベット、各種の記号が表現されています。
エレベーターや駅の自動券売機、缶ビールなど。
更に点字で書かれた本を貸出している点字図書館もあります。
このように『ブライユ式点字』はわたしたちの生活の様々なところで目にすることができます。
点字が作られるまで視覚障害者のための文字が全くなかったわけではありません。
一般の文字を木や紙に盛り上げた『浮き出し文字』や、
紐の結び目で文字を表現している『結び文字』などがありました。
しかしこれらの文字は視覚障害者にとって読むのも書くのもとても不便なものだったようです。
日本では、1887年にアルファベットで書いたローマ字の点字が初めて使われました。
東京盲亜学校の校長をしていた小西信八(こにしのぶはち)さんは点字に感激している生徒を目の当たりにして、
日本語の点字を作りたいと考えました。
そして先生と生徒たちでいろいろな案を出して考えた結果、
1890年11月1日に石川倉次(いしかわ くらじ)さんの案が
東京盲亜学校内の点字選考会で正式に採用されることになりました。
日本の点字が出来た11月1日は『日本の点字制定の日』とされています。
では現在主に用いられている『ブライユ式点字』を生み出したルイ・ブライユさんはどんな人物だったのでしょうか。
ルイ・ブライユとは

名前:ルイ・ブライユ
生年月日:1809年1月4日
没年月日:1852年1月6日
国籍:フランス
出身地:イル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県クーブレ村
職業:教師
家族は両親と2人の姉、1人の兄がいました。
どんな人生だったの?
ルイ・ブライユさんの父親は馬具や革靴などを製作していた職人でした。
自宅の1階に工房があり、そこでルイ・ブライユさんが3歳のときに遊んでいるうちに
父親が使用していた錐で誤って左目を突き破ってしまい失明してしまいました。
更に5歳の時にルイ・ブライユさんは感染症にかかり全盲となります。
ルイ・ブライユさんその後は村の学校に
目の見える子と一緒に通っていましたが、
1819年10歳の時にパリ王立盲学校に入学します。
地元のクーブレ村から盲学校のあるパリまでは40km以上も離れているため
ルイ・ブライユさんは寄宿舎で他の子たちと寝泊まりして
学校生活を送っていました。
学校卒業後は同校の教官になり、文法、地理、算数、音楽を教えていました。
盲学校教師として働きながら、ルイ・ブライユさんは24歳と時には教会のパイプオルガン奏者になり活躍していまいた。
1835年ルイ・ブライユさんが26歳のときに肺結核の兆候が見え始めました。
1843年34歳のときに病状が悪化し、クーブレ村で6ヶ月の療養生活を送っています。
1852年にルイ・ブライユさんは肺結核のために亡くなりました。
点字をつくったきっかけとは
ルイ・ブライユさんが通っていた盲学校では
『浮き出し文字』を用いた教育が行われていました。
そこへフランスの軍人であるシャルル・バルビエが考案した
『ソノグラフィ』と呼ばれる12点式の点字が持ち込まれました。
『ソノグラフィ』は元々通信暗号や速記符号として考案されたものです。
盲学校の生徒たちは読みやすく、自分でも書くことのできる
12点式の点字に夢中になりました。
ルイ・ブライユさんは12点式点字を12歳の時に知ります。
しかし12点式点字は指で読むには長いことに気づき、
ルイ・ブライユさんは一人で研究と改良を重ねて6点式点字を考案します。
1825年ルイ・ブライユさんがまだ16歳の時に
アルファベットや数字などの基本を完成させていました。
ルイ・ブライユさんが1828年19歳で盲学校の教師になってからは
点字で楽譜を書く方法を考え始めます。
そして翌年、『点を使ってことば、楽譜、かんたんな歌を書く方法-盲人のために作られた盲人が使う本』を出版。
1839年に点字を印刷する機械の開発を始め、
1847年に盲人の友人であるピエール・フランソワ・ヴィクトル・フーソーさんと協力して『ラフィグラフ』を完成させました。
タイプライターが普及されてからは廃れ、現在では使用されていません。
ルイ・ブライユさんが考案した6点式点字『ブライユ式点字』は
視覚障害者にとって読みやすく、書きやすいとても便利なものでしたが
すぐには認められず、フランスで公式の文字として採用されたのは1854年、
ルイさんが亡くなってから2年後でした。
ちなみに英語で点字のことを『braille(ブライユ)』といいます。
これはルイ・ブライユさんの名前からつけられています。
終わりに
ルイ・ブライユさんはわずか16歳で6点式点字を完成させ、
教師とパイプオルガン奏者として活躍。
さらに点字を印刷する機械までも開発。
全盲というハンディキャップを抱えながら亡くなるまで視覚障害者の為に
様々な活動をされているのはとてもすごいことですね!
ルイ・ブライユさんが開発した『ブライユ式点字』は視覚障害者にとって生活に欠かせないとても重要なものになっています。
ブライユ家があった通りはシュマン・デ・ビュットと呼ばれていましたが、
ルイ・ブライユさんが点字を発明して有名になった現在は『ルイ・ブライユ通り』という名前がつけられています。
更に生家は点字博物館として公開されていて世界中から多くの視覚障害者たちが訪れているそうです。
点字以外にもお札やシャンプー、ラップ、
道路に付いている点字ブロックなど視覚障害者たちが生活しやすいように触って区別ができるような印が世の中に溢れています。
このように視覚障害者の方が生活しやすいように点字や印が溢れているのも
ルイ・ブライユさんが『ブライユ式点字』を完成させたおかげです。
しかし、現在ではITやインターネットなどの進化により
音声で情報が取得できるようになり、点字の利用者は減っているようです。
ですが点字は個々のペースで文字の読み書きができ、
知識を構成したり考えを整理するうえでとても優れたツールです。
いろいろなものが便利になっている世の中ですが、
点字は変わらずに視覚障害者にとってとても大切なものなのですね。
昔から点字を点字を考えた人ってすごいなとなんとなく思っていましたが、
視聴覚障害を持っている自分自身の体験からこの発明に至ったのは
ほんとうに素晴らしいことですね。
最近では日本の教科書でも紹介され、子どもたちの間ではルイ・ブライユさんの認知度は上がっています。
逆に大人世代の方がルイ・ブライユって誰?って方も多いと思います。
わたしもまさにその一人。
ヤフーの子供世代の検索件数がともて高いことから
この人誰?と調べてみることにしました。
まだまだ知らないことって多いですね。
今日の記事が少しでもみなさんのい知識の一部になってくれればと思います。
現在と違い結核は当時は死に直結する病です。
点字を発明した16歳当時に自分の寿命など知るよしもなかったででようが
短い生涯を点字開発に情熱を注いだルイ・ブライユさんは
ほんとうにすごい人ですね。
ルイ・ブライユさんが結婚したのか、短い生涯で愛する女性に巡り会えたのか、
これに関する情報は見つけられませんでした。
きょうも最後まで読んでいただいてありがとうございました。