安彦良和の現在や新作は?結婚や妻と息子も気になる!倒れたことも?

今年のゴールデンウィークは最大9連休ということで、

どんな過ごし方をしましたか?

実家に帰ったり、旅行に出かけたり、

レジャーランドに遊びに行ったりした人は家族や友人との楽しい思い出が作れたかと思います。

どこにも出かけないでゆっくり家で過ごした方もいるかもしれません。

家でゆっくり過ごすならレンタルDVDで見たかった映画を一気見するのもいいですよね!

レンタルDVDを借りるなら気になっていた映画だけでなく、

昔ハマっていたアニメを見返すのも懐かしい気持ちになれて面白いですね!

大人になってからめっきりアニメは見なくなった方も、

子供の頃に好きだったアニメは1つ2つあるのではないかと思います。

今回は大人気アニメ『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイン

作画監督を務めた安彦良和さんについて調べてみました!!

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安彦良和さんのプロフィール

名前:安彦良和(やすひこ よしかず)

生年月日:1947年12月9日

出身地:北海道紋別郡遠軽町

職業:漫画家、アニメーター、アニメ監督

家族構成は父母、姉3人兄2人妹1人がいます。

7人兄弟9人家族の大家族とは驚きです!!

大家族を支える安彦良和さんの父親は

東社名淵のハッカ作りの代表格で1938年から1942年までは町会議員も務めていました。

普通の裕福でも悲惨でもない農家だったそうですが、

9人家族で普通の生活が出来るほどだと考えると

安彦良和さんの父親は結構稼いでいたのではないでしょうか。

幼い頃から兄が読んでいた漫画を読んで興味を持っていたそう。

小学5年生の頃には横山光輝さんの『鉄人28号』が好きで、

ノートに漫画を描いていました。

安彦良和さんが小学6年生の時に赴任してきた校長先生が

個展を開くほど絵好きで、絵のことだけでなく

様々なことを教えてもらったそうです。

学生時代からアニメの世界に入っても

誰からも絵の指導を受けたことがない安彦良和さんにとっては

唯一の師匠がこの校長先生だったんですね!

1960年に社名淵中学校に入学。

中学2年生の頃に父親が脳梗塞で亡くなってしまいます。

1963年に北海道遠軽高等学校に入学。

高校3年生の頃には生徒会長を務めています。

高校卒業後の進路については、

中学生ころまでは漫画家になりたいと考えていましたが、

そんな夢みたいなことを言っていてもしょうがないと

諦めをつけて弘前大学に進学。

しかし、ベトナム戦争に反対する学生運動に参加した

安彦良和さんは建造物侵入、不退去罪の疑いで逮捕。

結果、1970年1月に弘前大学から退学処分を受けてしまいます。

保釈後に上京して友人の協力があり写植屋に勤めます。

写植屋とは、写真植字機を使って文字などを印画紙やフィルムに印字して、

写真製版用の版下などを作る仕事です。

コンピューターのな時代は印刷一つもたいへんなさぎょうでした。

しかし、写植の仕事はどうしても好きになれなかった安彦良和さんは

3ヶ月で仕事を辞めてしましました。

そんなときに偶然目にした虫プロの新聞広告に応募し、

面接で高校時代までノートに書いていた漫画を見せて見事合格。

漫画家になるまでなかなか波乱万丈な人生を歩んでいたんですね!

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その後の経歴

1970年に旧虫プロダクション虫プロ養成所の2期生として入社し、

『さすらいの太陽』『新ムーミン』『ワンサくん』などの制作に携わっています。

「虫プロ」といえば手塚治虫さんが開いたプロダクション。

やはり最初から頭角を現していたんですね。

しかし3年後に虫プロが倒産してフリーに。

オフィスアカデミーで『宇宙戦艦ヤマト』、

創映社で『勇者ライディーン』『ゼロテスター』

『超電磁ロボ コン・バトラーV』などの作品に携わります。

『わんぱく大昔クムクム』は安彦良和さん自ら企画書を出し、

脚本、演出、作画にも関わった作品です。

1979年4月から放映された『機動戦士ガンダム』では

キャラクターデザインと作画監督を務めています。

更に同年に徳間書店に『アリオン』を発表して漫画家デビューを果たしました。

1983年劇場用アニメ『クラッシャージョウ』で初監督。

1984年『巨神ゴーグ』で原作・監督。

1986年劇場用アニメ『アリオン』を自ら監督。

1989年『ヴイナス戦記』を監督。

以降は専業漫画家として活動しています。

アニメ業界を辞めた理由は『風の谷のナウシカ』や

『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』をみて、

そのクオリティの高さには勝てないと感じたから。

監督を務めた『巨神ゴーグ』で能力の限界を感じたから。

この2つの理由を明かしています。

更に『ヴイナス戦記』でお客さんがそこそこ来たら

もう1本決めようと思っていたが、

同作品は振るわなかったことがアニメ界から

身を引く引き金となったようです。

以後漫画家として『ナムジ』『虹色のトロツキー』『王道の狗』

などの作品を手がけて第19回日本漫画家協会賞優秀賞、

第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞しました。

2001年〜2011年まで連載した『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は

累計発行部数1000万枚を超えるヒット作になりました。

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2006年に神戸芸術大学メディア表現学科の教授に就任。

2015年2月に約25年ぶりのアニメ制作となる

OVA『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅰ 青い瞳のキャスバル』の

総監督を務めています。

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現在や新作の情報は?

安彦良和さんの最新作『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星』が

2018年5月5日から全国35館で上映されます。

第6話となる『赤い彗星』は『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の

アニメプロジェクト完結作品となっています。

『機動戦士ガンダム』ファンの方は待望の映画なのではないでしょうか。

この映画の上映は4週間限定の6月1日までとなっているので、

気になる方はお早めに映画館まで足を運んでください!!

結婚や妻について

安彦良和さんは弘前大学の同郷会で出会った女性と結婚されています。

残念ながら妻の名前と年齢などの情報やいつ結婚されたのかなどは分かりませんでした。

昔は割りと若いときに結婚される方が多かったので、

安彦良和さんも虫プロに入社した前後くらいで結婚されているのかもしれませんね!

子供がアシスタント?

安彦良和さんと妻の間には1973年に長男が生まれています。

ちなみに安彦良和さんが企画、脚本、演出、作画を務めた

『わんぱく大昔クムクム』の主人公はご長男が

モデルとなっています。

その息子さんのMASATOさんが現在アシスタントを務めているんです!!

父親の姿を見て漫画家を志したんでしょうね。

しかも、安彦良和さんは手が早くなんでも描けてしまうということで

アシスタントは息子一人で行っているんだとか。

安彦良和さんは息子のMASATOさんのことを信頼しているからこそ

アシスタントを彼1人に任せているんですね!

過労で倒れた経験も?

実はキャラクターデザインと作画監督を務めた

『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズ制作中に肋膜炎で5ヶ月入院していたんです。

その為、『機動戦士ガンダム』全43話中最後の10話には参加していません。

肋膜炎は現在胸膜炎と呼ばれている病気で、

肺の外部を覆う胸膜に炎症が起きる疾患です。

胸の痛み、呼吸困難、発熱、咳、痰などの症状が現れます。

ほとんどは癌や結核、肺炎などの後に発症する病気なので、

安彦良和さんもその様な病気を一度発症しているのかもしれません。

過労死が多いと言われていた業界であったため、

「やってしまった、死んだ」と思ったそうです。

病床でも自分が制作するはずだったガンダムの放送を見て

「修正したい、制作に加わりたい」と思っていたそうです。

クライマックスの最後10話に携われなかった虚しさとアニメに対する情熱が伺えますよね。

終わりに

学生時代から波乱万丈な人生を送っている安彦良和さんは

誰もが知っている有名アニメ『機動戦士ガンダム』の作画監督以外にも多くの作品に携わっています。

「クムクム」は小さい頃の観ていました。今でも主題歌も歌えます。

一時期アニメから観を引いておられたのは今回始めて知りました。

ですが安彦良和さんとガンダムは切っても切れない絆ですよね。

安彦良和さんの最新作『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星』が5月5日から上映されています!

『THE ORIGIN』シリーズの完結作ということで、

ガンダムファンの方はチェックしてみてください!

そして、息子のMASATOさんも安彦良和さんと同じ

漫画界で活躍されているということで、今後MASATOさんの活躍にも期待です!

きょうも最後まで読んで頂いていありがとうございました。

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