こんにちは。
トミーです。
みなさんマザーハウスってご存知ですが?
バックとアクセサリーのお店で日本さらに台湾や香港にも出店してます。
このお店の特徴は商品であるバッグやアクセサリを
バングラデシュなどの発展途上国ですべて作られていることです。
わたしも新宿や谷中のお店に行ったことがありますがとてもシンプルでいて、かわいくて
ついつい手に取ってしまいたくなるような商品です。
そんなマザーハウスを作った女性山口絵里子さんについて調べてみました。
Contents
山口絵里子さんプロフィール
名前:山口絵里子(やまぐちえりこ)
生年月日:1981年8月21日
出身地:埼玉県さいたま市
職業:株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナー
出身高校:埼玉県立大宮工業高等学校
出身大学:慶應義塾大学総合政策学部
山口絵里子さんは小学生の頃とても気が弱く、いじめられ、
学校に行けなかった時期があったようです。
柔道部に入り更生へ
山口絵里子さんは中学生の時にはその反動で非行に走りますが、高校に入り柔道部に入部。
ただケンカに強くなりたかった。それだけだでした。
しかも山口絵里子さんが入学した高校は工業高校だったので部員50名のうち女子部員は山口絵里子さんただ一人。
しかも重量級の強い、大きな選手の中、山口絵里子さんは48kg。
2年生まではとても弱かったそうです。
さらに山口絵里子さんは鼻の骨が2回折れて、靭帯も今だに着れたままだそう。
山口絵里子さんは3年生になってから「最後は自分の力を出すだけだ」と思い試合に臨んだら、県大会で優勝し全国7位になりました。
山口絵里子さんは全日本の合宿にも参加したことがあるそうです。
あの柔ちゃんこと谷亮子選手都も一緒に練習したことがあるそう。
まさに日本代表、もう世界が見えてますよね。
でも山口絵里子さんは高校までで柔道はやめました。
もともと学校をつくって社会を変えたいという思いがあったのでその夢をはたすため大学進学に集中しました。
大学進学から会社設立まで
山口絵里子さんは慶應義塾大学総合政策学部にはAOで入学。
大学4年生のときには米州開発銀行でインターンを経験しています。
「アジア最貧国」としてバングラデシュに興味を抱き、実際に訪問します。
当時のバングラデシュでは1日1ドル以下で生活する人々が人口の半数近くも
存在するくらいの貧困や汚職と言った現状を目の当たりにします。
想像を超える貧困の現実に圧倒される日々の中で「なんとかしないと」という思いに動かされ、
2週間と言う短期間の滞在中にバングラデシュBRAC大学院を受験しました。
在学中に三井物産のダッカ事務所でインターンを経験しています。
2006年に山口絵里子さんは株式会社マザーハウスを設立します。
「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞
「Young Global Leaders 2008」選出
シュワブ財団「Social Entrepreneur of the Year in Japan 2011」日本代表受賞
2012年に国際社会で顕著な活動を行い世界で「日本」の発信に貢献したとして、山口絵里子さんは内閣府から『世界で活躍し「日本」を発信する日本人』の一人に選ばれました。
著書について
・裸でも生きる-25歳女性起業家の号泣戦記

・裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける

・自分思考

マザーハウス設立のきっかけは?
マザーハウスの事業内容は、発展途上国におけるアパレル製品及び
雑貨の企画・生産・品質指導、同商品の先進国における販売です。
は起業から10年で、現在日本・台湾・香港で29店舗を構えています。
大学時代に自分のやりたいこと、使命を探すことに最も力をいれたといいます。
そのためにたくさんの授業をとり、先輩の真似ではなくて、何で生きるのか?
ということまで考え抜いて自分の指針を探したそうです。
その先に見えてきたものが、途上国への想いで、そこで自分のフィールドを作ろうと決心したといいます。
山口絵里子さんがインターンで働いていた国際機関には実際に途上国に行ったことがあるスタッフがいなかったそうで、
現場の方が見えることが多いはずだと考え、バングラデシュに行きました。
そこで現地の大学院に入学し、マザーハウス設立に至ったそうです。
「この国で、最高のジュートバッグを作ろう。そして貧しいっていうイメージを払拭するような商品を、世界に届けよう。
それこそが国際機関でもなく、ボランティアでもない、自分らしいチャレンジだ」
「ブランド名は“マザーハウス”。尊敬するマザー・テレサのマザーと、みんなが帰れるような“家”のようなブランドになりたいから、ハウスをくっつけよう」
NGOの人からはバングラデシュを使って金儲けをしているのではないか?
と言われたりと苦労も多かったようです。そんな中で商品を置いてもらうために百貨店を一軒一軒自分の足で回り続けたといいます。
その頃は泣きながら帰る日々が続きました。
そんな中でバッグを買ってくれたお客様の重みが心に染みたそうです。
その時の1年は何十年たっても一生の財産になると語っています。
ジュエリー事業について
現在はジュエリー事業にも着手しています。
山口絵里子さんの目標はバッグを売ること自体ではなく、
「途上国からブランドを作ること」「働ける国を増やすこと」この二つが事業の目的だといいます。
そこで、途上国の中には鉱物や石など、ジュエリーの資源を豊富に持っている国が多いだろうと考え、
インドネシアとスリランカでのジュエリー事業にたどりついたそうです。
更に、新たな商材を求めて、アフリカの小国の洞窟で暮らす人に会いに行ったり、
アルパカに会いに標高3700mの村に行ったりと、様々な国へ飛び回っています。
山口絵里子さんが海外で仕事をするときに大切にしている事は『現地の言葉を学ぶ』『その土地の人たちが大事にしている価値観を学ぶ』ことだといいます。
山口絵里子さんは「この国の人にとって、幸せって何ですか?」という質問を現地の言葉でまず始めにするそうです。
現地の方々の価値観を理解することで信頼感が増す。それは現地の人と仕事を始める心構えとしてとても大切なことなんだそうです。
結婚や夫について
山口絵里子さんの結婚について調べてみましたが、現在はまだ独身のようです。
忙しすぎて今まで結婚していなかったのかもしれませんが、
「そろそろ結婚や出産について考えなければいけない年齢」と本人がおっしゃっていたので、近い未来に結婚されるのではないでしょうか?
そこで一番可能性のあるお相手は、マザーハウス副社長の山崎大祐さんではないかと言われているようです。
山崎大祐さんは大学の先輩だそうです。
大学時代から一緒に将来のことや哲学的なことも話し合ってきた仲ということで、
かなり長い間公私共に支え合ってきたお相手です。
子どもはいるの?
結婚もまだされていないようなのでお子さんもまだいないのではないかと思われます。
しかし、上記したように、結婚・出産については考えているようですし、
現在36歳ということで、もしかしたら近々結婚と出産の報告もきけるのではないかと思われます。
今後については?
今後について山口絵里子さんは「お客様のライフプランに沿った品物を提案できるようになりたい」と語っています。
マザーハウスのコンセプトは、家族みんなから記念日の贈り物に選んでいただける作品作り。
父の日の贈り物であったり、母娘の結びつきなど、
そういうコンセプトに現地の素材をどう結び付けるか、結び付く素材が現地にあるのか。
今後も模索し、お客様の話からインすバイアされながらものづくりを続けていきたいといいます。
今後も山口絵里子さんとマザーハウスの活躍に注目ですね!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうごいました。