篠沢秀夫教授のクイズダービーでの正解率は?出演者や視聴率もチェック!

こんにちは。トミーです。

わたしが小さろ毎週楽しみに見ていた

クイズダービーという番組があったのですが

この番組の面白いところは

まるで競馬の馬に駆けるみたいに

回答者が正解するかを懸けるんですが

その時に回答者ごとに倍率が表示されるんです。

しかもその倍率はクイズごとに設定されて、

倍率もその都度司会の大橋巨泉さんが決めていたんですよね。たぶん。

ああいうクイズ番組が面白くて

ほぼ毎週見ていました。

その回答者の中で人気だった

元学習院大学の教授だった篠沢秀夫さんが

10月26日に亡くなったとの報道で

きょうは名物回答者だった篠沢秀夫さんのことと一緒にクイズダービーのこともご紹介したいと思います。

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まずは篠沢秀夫教授のプロフィールです。

氏名:篠沢秀夫(しのざわひでお)

生年月日:1933年6月6日

没年月日:2017年10月26日

享年:84歳

出身地:東京都大田区

学歴:東京都立日比谷高校、学習院大学、東京大学大学院

血液型:AB型

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篠沢教授の経歴は?

篠沢秀夫教授は中学生のころからアテネフランセでフランス語を学んだあと、

都立の名門日比谷高校に入学されています。

日比谷高校は都内じゃなくても優秀な生徒が通う高校として有名です。

あのノーベル賞受賞生理学、医学賞を受賞した

利根川進博士も日比谷高校のご出身です。

篠沢秀夫教授は大学は学習院大学に進学。

文学部のフランス文学科を卒業されています。

篠沢秀夫教授はその後1959年3月に東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程修士課程を修了

篠沢秀夫教授はフランス政府給費留学生試験に合格し1959年から1961年にフランス・パリ大学へも留学されました。

中学生のころからフランス語を習っていたなんて、

篠沢家はとてもお金持ちでひょっとしてお父様もなにか海外との取引や関係のあるご家庭だったのでしょうか?

1950年台前後はフランス語はもちろん英語だってまだ世の中で習おうという人は少なかったと思います。

留学後の篠沢秀夫氏は

1962年9月から学習院大学文学部非常勤講師

1963年4月明治大学法学部専任講師

1966年明治大学法学部助教授

1971年 明治大学法学部教授

1973年4月学習院大学文学部フランス文学科教授

とフランス語の教育の現場で活躍されました。

その後の経歴は?

2004年3月学習院大学を定年退職

2004年6月学習院大学名誉教授と歴任され

2013年4月瑞宝中綬章叙勲を受賞されています。

クイズダービーに出演

クイズダービーには全部で5枠ありましたが

教授などの教育者などの知的文化人?枠は1枠でした。

篠沢秀夫教授の初登場は1977年10月8日の回からでした。

その当時のほかの回答者は

2枠 沢たまきさん(女優)

3枠 はらたいらさん(漫画家)

4枠 竹下景子さん(女優)

5枠 ゲスト回答者

こんな感じでした。

すでに沢たまきさんもはらたいらさんも故人となっています。

クイズダービーといえば

やはり司会者の大橋巨泉さん無くしては語れませんが

回答者としてははらたいらさんと竹下景子さんがとても優秀でした。

特にはらたいらさんの正解率があまりに高いので

やらせや不正もあったくらいです。

その後確か大橋巨泉さんが別の番組で

やらせ疑惑を一切否定されています。

最近もクイズ番組ってよく見かけますが

確かにやたらとデキる人っているんですよね。

はらたいらさんは毎日たくさんの新聞も読んでいたそうなんで、

博識だったんおでしょう。

篠沢教授や他の回答者の正解率は?

篠沢秀夫教授は1977年10月8日から1988年7月30日までレギュラー回答者としてクイズダービーにご出演されました。

その間に出された問題は4376問

そのうち篠沢秀夫教授が正解した問題は1423問

不正解は2853問です。

正解率は.327

篠沢秀夫教授の正解率は3割2部7厘

3割超えていたとはなかなかすごい。

当時は1枠の先生方はあまりクイズはできないという印象だったので

この正解率にはちょっとびっくりです。

で気になるはらたいらさんの正解率は

正解4842問不正解1632問で

なんと脅威の7割4部7厘でした。

ちなみにはらたいらさんんお前に回答者を努めていた

黒鉄ヒロシさんもすごく正解率が高い記憶が。。

正解312問 不正解159問

正解率は6割6部2厘

やはり黒鉄ヒロシさんも優秀だったんですね。

当時うちの両親いわく

「漫画家は自分でいろいろ調べて漫画を書かないといけないから頭もいいし、世間のいろいろな情報もよく知っている」

みたいなことを言っていて、

そうか漫画家は頭良くないといけないのか

なんて子供心にも漫画家ってたいへんって思った記憶があります。

そしても一人竹下景子さんの正解率は

正解4172問 不正解2418問

正解率は6割3部3厘

さすがです。

当時竹下景子さんは

「三択の女王」と呼ばれていた記憶が。

レギュラー回答者になった当時はたしかまだ女子大生女優として出演されていましたが、

いつの間にかご結婚され

ご長男とご次男の出産の時期には

産休の竹下さんに変わって

宮崎美子さんや原日出子さん、市毛良枝さんが

2枠で回答されていました。

宮崎美子さんもまだ大学を出たばかりのころだったと思います。

他に宮崎美子さんは当時熊本大学出身ということで有名になってましたが

その後後輩の斉藤慶子さんも回答者として出演されていました。

宮崎美子さんは当時の正解率は4割。

さすが今でもクイズ番組には欠かせない存在ですよね。

篠沢秀夫教授がレギュラーを降板したあとは

あの北野武さんのお兄さんの北野大(まさる)さんがレギュラー回答者になりました。

弟のたけしさんは明治大学でしたがお兄さんは

クイズダービー出演時は科学者として殺虫剤の開発や分析化学の専門家として勤務されていました。

北野大さんは現在明治大学の名誉教授、秋草学園短期大学学長。を努めています。

他にも

回答者として五月みどりさん、うつみ宮土理さん、南田洋子さん、長山藍子さん、井森美幸さん、

萩尾みどりさん、岸順子さん、ガッツ石松さんも回答者として出演。

おどろきがガッツ石松さんなんと正解率5割8厘

半分は正解されているとは!

ちょっと天然ぽいところのかる方ですが

クイズは得意だったんですね。

もっといろいろな番組でも実力を発揮してほしいでですね。

篠沢秀夫教授の前に1枠レギュラーだったのが鈴木武樹教授。

鈴木教授は正解率4割1部1厘かなり正解率良かったんですね。

鈴木教授は選挙に出馬する関係でレギュラーを降板されたそうです。

その鈴木教授もクイズダービーを降板した1978年に胃がんのため急逝されました。

クイズダービーはその後司会者が徳光和夫さんに変更となり1992年まで放送されました。

篠沢教授のご家族は?

篠沢秀夫教授のご家族についてはあまり知られていませんね。

篠沢秀夫教授は2回結婚しています。

最初の結婚はフランス留学する前でした。

4歳年上の女性だったそうです。

ですが留学中にご自身の運転する車で事故をお越し、帰らぬ人に。

当時息子さんもいたそうですが

その息子さんも14歳の時に海の事故でなくなりました。

その後再婚

篠沢秀夫教授は1963年に再婚されました。

妻の名前は礼子(れいこ)さん

篠沢礼子さんは1940年生まれです。

礼子さん自身も学習院大学の仏文科を卒業されています。

篠沢教授に一番近い人だったのかもしれませんね。

当時礼子さんは学習院大学での助手をされていたそうです。

まだ助教授だった篠沢教授と出会い

1965年にご結婚されています。

篠沢秀夫教授と礼子さんとの間には3人のお子さんがいらっしゃいます。

ALS発病

篠沢秀夫教授は2009年に

筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。

この病気は難病に指定されています。

どんな病気なの?

ALSは脳や経からの筋肉に司令を伝える運動ニューロンが侵される病気です。

難病に指定されていて、
日本では今8300人あまりの患者さんが確認されています。

この病気になると自分の意思で自分の身体を動かすことが困難になります。

次第に呼吸筋を動かすことも困難になり人工呼吸器が必要になります。

自分で自分の身体を動かすことは困難になりますが

知能や知覚、嗅覚、味覚、触覚などは障害は見られません。

嚥下障害も起きるので誤嚥(ムセ)から来る肺炎にもなりやすくなります。

50代から70代前半の年齢層に多いといわれています。

中でも一番多いのは65~69歳で、男女ともに発病します。

発病と生活環境は無関係と言われています。

篠沢秀夫教授はこのALS発病後も人工呼吸器きを装着しながら精力的に執筆、講演活動を続けていたそうです。

妻の礼子さんも懸命に支えたんだろうと思われます。

お孫さんも

篠沢秀夫教授にはお子さんが3人いらっしゃいますが

ALSの発病がちょうどお孫さんの誕生と重なっていたそうです。

きっとお孫さんの存在も篠沢教授の闘病生活の励みになったこととと思います。

終わりに

クイズダービーの回答者だった篠沢秀夫教授。

子供心にも回答者を賭けるのやはらたいらさんの驚異的な正解率にびっきりしながら毎週見ていました。

1枠の篠沢教授はいつもおっとりされていて、正解でも不正解でもおだやかな表情でお茶の間を和ませてくれていました。

こうやってこれまでの篠沢教授の経歴を見ると

最初の奥さんやお子さんを早くになくされていたり

忙しいがすぎ、お孫さんの誕生や成長を楽しみにしていた矢先の発病。

それでも精力的に執筆や講演も行っていたという教授に脱帽です。

これからは天国からお孫さんやご家族の幸せを祈っていてくださいね。

篠沢秀夫教授のご冥福をお祈り致します。

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