こんにちは。
とみーです。
きょうはもうすぐ発表される
ノーベル賞の日本人の候補者の方について
ご紹介したいと思います。
今回ご紹介する坂口志文教授は過剰な免疫反応を抑える制御性T細胞の発見と
免疫疾患における意義を解明したことで評価されています。
坂口志文教授のプロフィール
氏名:坂口志文(さかぐち しもん)
生年月日:1951年1月19日(69才)
出身地:滋賀県
出身高校:長浜北高等学校
出身大学:京都大学医学部
小中学校は地元の公立の学校ですが校名はわかりませんでした。
やはり坂口志文教授は名門京都大学の医学部のご出身だったんですね。
医学部に入ったきっかけは?
坂口志文教授の父親はもともと滋賀県長浜町で高校教師をされていたそうです。
残念ながら中学については確認できなかったんですが
坂口志文教授が中学生のころは画家か、彫刻家になりたかったそうです。
かなりな絵の実力だったようで、コンクールで表彰されることも多かったそうですよ。
ですが結局美術を専門的に志すまでにはならなかったそう。
お父さんの希望もあり、またお母さんの家系がもともと医者の家系であったことから自然と医者になろうという志を持つようになりました。
でも最初は精神科医希望だったとか。
それが今やがん研究の第一人者ですからどういうながれだったんでしょうね。
その後京都大学の医学部に入学しましたが、
当時は学園紛争の真っ只中という時代で勉強が思うように進まず、その中で坂口志文教授は自分は精神科には向いていないという考えに至ります。
そして免疫学に出会います。
アレルギー反応、1型糖尿病、関節リウマチなど自己免疫疾患に関する勉強を専門に続けることになりました。
免疫学の勉強を進める過程で愛知のがんセンターの先生に出会い、胸腺から作れらる細胞「T細胞」の研究を始めます。
この研究が坂口志文教授の生涯の研究テーマになったんです。
その後坂口志文教授はアメリカに奨学金をもらい留学しました。
その後研究をつづけた坂口志文教授は抑制型のT細胞を発見し論文を発表しましたが、
その実験を誰も再現できず、この論文は評価されなかったそうです。
それでも再現性を模索し、マウスに化学薬品やウイルスを投与して自己免疫疾患を作り出し、
その一つ一つが抑制能を持つCD4 T細胞と関係があることを示していったそうです。
それでもなかなか坂口志文教授の研究は認められなかったそうですが、
その後免疫学の大物の先生が坂口志文教授の研究を支持してくれるようになり、
ようやく認められるようになったそうです
その後CD25という物質で識別できるCD4 T細胞を正常なマウスから取り除くと自己免疫疾患を起こす、
つまりこの細胞が免疫反応を抑制する能力を持っていることを示すことができるようになりました。
坂口志文教授は自分の道を貫いてきて本当に良かったです。
その後制御性T細胞の特徴を決めているとみられる、マスター遺伝子を見つけたのです。
それはFoxp3という遺伝子でだそう。
医学への応用は?
この自己免疫に関する研究は
がん治療や、再生医療にも役立つ研究だそうです
ガンの治療に関しては抗がん剤の効果をもと上げるために免疫抑制を活用するなどの効果を上げています。
まあむつかしくて看護師のわたしでも
ふ~んというのが精いっぱいです。
ですががん治療をされている方が免疫抑制剤を内服されているのもそういう治療の効果を上げるためなんですね
妻や子供は?
坂口志文教授の妻は教子さんというお名前です。
アメリカ留学の時にも坂口志文教授に同行し、ずっと研究を手伝ってくれたそうです。
その後教子さん自身も『Nature』に論文を出すほどの研究者になりました。
きっと妻の教子さんもお医者さんで研究者なんですね
留学中は二人三脚で支えあっていたんでしょうね。
坂口志文教授のお子さんについては情報を確認することはできませんでしたが、
研究者のご両親をもった子供となると、
やはり自身も両親と同じ道を歩むのではないかなと思います。
最後に
人体に関する研究もさまざまに進んでいますが、
まだまだいろいろな可能性を秘めた研究がこれからも世界中のどこかで続けられていると思うと、
人体こそ未知の領域なのかもしれませんね。
今だに、これからも
坂口志文教授は
何事も時間がかかる
と言われています。
果てしない道のり。研究ですがそれでも坂口志文教授は自分なりに期限を決めてたとえば40歳までに仮説を証明するなど、
ある程度の目途をたてての研究をされてきたところがすごいと思います。
長い時間ひとつの研究に没頭するにはいいけどしばらくはその研究が認められない不遇の時期もありましたから
自分の道お貫くというすごい信念のもとこの研究は世に出たんだと思います。
しかしどの世界にもしがらみとかやっかみとかあるんですね。
坂口教授はノーベル賞受賞者を数多く輩出した、『ガードナー国際賞』と『トムソン・ロイター引用栄誉賞』を’15年に受賞しており、非常に有力な候補だそう。
ほんとうに今回ノーベル賞の候補とまで言われるようになってよかったと思います。
きょうも最後まで読んでいただいてありがとうございました。