大久保武道の青森の実家や家族について!

みなさんは「ラスト・エンペラー」ってご存知ですか?

清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画。

1987年に制作されています。

実在した人物の歴史にほうろうされる人生を描いた大作でしたが、

このラストエンペラーの姪にあたる令嬢が今回の主人公となりま巣。

みなさん天城山心中事件をご存知ですか?

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天城山心中事件とは

天城山心中事件とは、1957年12月10日に、

伊豆半島の天城山で4日前から行方不明となって捜索されていた

学習院大学の男子学生である大久保武道さんと、

同級生の愛新覚羅慧生さんの2名が拳銃で頭を撃ち抜いた状態で発見された事件です。

当時マスコミで『天国に結ぶ恋』として報道されていました。

慧生さんは大久保さんに腕枕をしてもらうようにしていて、

顔には白いハンカチがかけられていた。

大久保さんは手に旧陸軍14式短銃を握っていて、

慧生さんの右コメカミを撃ったあとに自分も自殺したと見られています。

2人のそばのサルスベリの木には、

2人の爪と頭髪が白い紙に包んで埋められていたそうです。

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大久保武道氏はどんな人?

心中事件を起こした大久保武道氏はどんなじんぶつだったのでしょうか?

大久保武道氏は1937年生まれの青森県八戸市の出身です。

父親は南部鉄道役員で、

八戸の漁具問屋の経営も行う裕福な家庭で育ちました。

学習院大学文学部国分学科に進学することを機に上京。

性格は、質実剛健で感情と行動に距離がなく、

猪突猛進、愚直。

習院大学の中ではとても異質な存在だったようです。

更に、前々から自殺願望があったとか。

これだけ見ると少し危なっかしい方のようにも思えます…。

2人の関係は、いつも一人でいた大久保さんに慧生さんが声をかけて気を配るところから始まりました。

大久保武道氏は慧生さんに対して女神のように崇めていましたが、

慧生さんは大久保武道氏に対して特別な感情は抱いていなかったようです。

しかし大久保さんの猛アタックにより慧生さんの家族の反対があったものの交際がスタート。

1957年に2月に2人は婚約を決めました。

しかし、冷静さを取り戻した慧生さんは友達の猛反対にもあい、

何度か婚約解消を持ち出しています。

ですがその度に大久保武道氏が自暴自棄になって解消がたち消えるということを繰り返していました。

大久保武道氏は大学院進学を諦め、

アルバイトをしながら2人の将来のための貯蓄を始めていました。

そのお金は慧生さんが預かり、貯金をしていたようです。

しかし、12月2日に慧生さんは友人3人に拳銃を見せています。

その拳銃は大久保武道氏が自殺するために実家から持ち出したもので、

慧生さんが説得して預かっていると話していたそうです。

クラスメイトは皆、大久保武道氏に自殺願望があったことを知っていたので、

相談された友人はそんなものを持っていたら危ないから誰かに預けるように言っています。

しかし、2人は日頃からそのような揉め事が多かったことから、

相談を受けた友人たちは重大なことになると思っていなかったようです。

そして、慧生さんは大久保武道氏の自殺の考えを覆すことができず、

同意したとされています。

なお、慧生さんの親族は大久保武道氏によるストーカー殺人だと主張しています。

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愛新覚羅慧生氏はどんな人?

名前:愛新覚羅慧性(あいしんかくら えいせい)

生年月日:1938年2月26日

出身地:満州国新京市

清及び満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の姪にあたります。

父親が満州国駐日大使館に勤務となり、来日します。

その次の年に妹が生まれ、新京に戻りました。

1943年に学習院幼稚園に通うために再び来日し、

母の実家に預けられます。

19歳で亡くなるまで日本で過ごすことになります。

新証言について

従来の説は、二人が木の下に寝て、

大久保武道氏が慧生さんの左のこめかみから発砲。

その後自分の右こめかみに発砲して、

二人寄り添って死んだというものでした。

慧生さんの親族は2人の交際を認めておらず、

事件はピストルで脅され連れ出された上での無理心中だと主張しています。

一方、大久保家では2人の同意の上での心中だという認識。

2人の同級生や関係者がマスコミに様々に証言し、

悲劇の純愛物語として映画化もされています。

しかし、近年遺体の第一発見者が新しい証言をしています。

慧生さんは来にもたれかかるように死んでいて、

2人は別々に横たわっていたという。

つまり、大久保さんが木を背にした慧生さんを撃ち、

その後自殺したことになります。

この証言が正しいと大久保武道氏の無理心中であった可能性が出てきます。

もともと当時の警察も大久保武道氏について「殺人」と断定していることから、

無理心中とうか一方的に大久保武道氏が慧生さんを殺害したんではないかと思われまれます。

終わりに

慧生さんがラストエンペラーの姪だということでメディアなどに大々的に取り上げられたこの事件は、

近年の新証言によって純愛心中ではなく、

無理心中だったのではないかと言われています。

天城山に向かう途中のタクシーでの2人の会話でも、

慧生さんが大久保武道氏に帰ろうと促していたという証言もあり、

慧生さんは本当は死にたくなかったのではないか…。

事件から60年。純愛物語として映画にもされている事件ですが、

真相はどのようなものだったのでしょうか。

目撃された最後の時まで自殺を思い留めるように説得していたという慧生さん

ほんとうに心優しい女性だったのだなと思います。

19歳の若さ出なくなった慧生さんですが、慧生さんの妹さんは後に

一般の男性の元に嫁ぎ、5人のお子さんに恵まれたそうです。

氏名で大きく人生が別れてしまいました。

最近になってこの天城山心中事件について様々な新証言が出てきています。

結局のところの真相は闇の中とは思いますが、

少しでも故人の思いが伝わってくると良いなと思います。

きょうも最後まで読んでいただきありがとうございました。

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