上條恒彦の今現在は?息子や妻についても調査!出発の歌が懐かしい!

こんにちは。トミーです。
夏になるとNHKでは「懐かしのメロディー」や各放送局でいろいろな音楽特番が放送されますね。わたしも最近の音楽はよくわかりませんが、ちょっと昔の音楽が流れるとほっとします。

最近作詞家の山川啓介さんが亡くなったのもわたしにとっては昭和を思い出すきっかけになりました。

きょうは懐かしい「出発の歌(たびだちのうた)」の歌手上條恒彦さんについて書いてみたいと思います。上條恒彦さんと言えば、わたしはやはり「出発の歌(たびだちのうた)」と「3年B組金八先生」ですね。「金八」ではずっレギュラーで社会教師・服部肇役で出演されていました。
「出発の歌(たびだちのうた)」はわたし高校時代の毎年行われていた校内の合唱コンクールでクラスでこの曲を歌ったのを思い出します。この時はまだ上條恒彦さんの歌だとは知りませんでした。
その後上條恒彦さんがいろいろな歌番組でこの曲を披露しているのを聞いて知った次第です。
でもあれから〇十年。。金八先生もとっくに終了しています。上條恒彦さんは今どうされているのでしょうか?

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上條恒彦プロフィール

氏名:上條恒彦

生年月日:1940年3月7日(77歳)

出身地:長野県朝日村

血液型:B型

身長:175㎝

歌声が貫禄を感じるからか上條恒彦さんの身長はもっと大きくて大柄な方だと思ってました。まあ175㎝でも十分に大きいですが。。

上條恒彦さんは地元の高校を卒業後に上京、大森にある雑貨屋さんで住み込みで働いていたそうです。

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さまざまな仕事を経験

その後はサンドイッチマンや新聞配達、うたごえ喫茶の歌手などさまざまな仕事を経験されています。サンドイッチマンって何だろうと思ったら、都会でよく見かける、看板を首からぶら下げて、身体の全面と背中側に看板をぶら下げている人ね。なるほどされがサンドイッチマンだとは知りませんでした!!
うたごえ喫茶も時代を感じる仕事です。もともと歌は上手だったでしょうからきっと上京した動機も仕事もあったでしょうが、いずれは歌手としてデビューしたいという思いもあったかもしれません。
1964年3月に労音で勤務し、これがデビューのきっかけになっています。
労音も初めて聞きますがこれは「勤労者音楽協議会」で会員制を基本に運営される日本の音楽鑑賞団体だそうです。最盛期は60万人も会員がいたそうですが1960年代が最盛期でその後いろいろな団体に分かれて今も存在はしているようです。

スタジオ101レギュラーに

1968年にNHKの音楽番組「スタジオ101」のレギュラーとして出演。わたしこの番組覚えてないんです。わたしは「レッツゴーヤング」の世代です。。たしか若いレギュラー陣が歌ったり踊ったりの番組だと思いますが、上條恒彦さんも歌って踊ったのでしょうか?Wikipediaによると、上條恒彦さんは年長だったので別格扱いだったとか。。まさかアイドル中心の番組ご出演だったとは知らなかったです。

「出発の歌(たびだちのうた)」との出会い

1971年にグループ「六文銭」と共演した『出発の歌(たびだちのうた)』で「ポピュラーソング・フェステバル’71」のグランプリを受賞。そして第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞しました。
「六文銭」は小室等サンガ」中心となって結成されたグループです。このメンバーに参加して、名曲「出発の歌(たびだちのうた)」ができたんですね。
この時期はフォークソングの最盛期ですから、小室等さんも大人気でした。1972年にはNHK紅白歌合戦にもこの曲で出演を果たしています。

もう1曲上條恒彦さんの曲で忘れてはいけないのは「だれかが風の中で」そう、あの時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌ですね。時代劇の主題歌らしからぬさわやかな歌で人気でした。この曲は作詞が名監督市川崑さんの奥さんの和田夏十さん、作曲は小室等さんが担当しました。主演の中村敦夫さんも素敵でしたね。中村敦夫さんの代表作にもなっています。

その後は俳優さんとして活躍。もちろんミュージカルも含みます。長い間レギュラーを務めた「3年B組金八先生」は第7シリーズ(2005年)まで出演。さらにファイナル「3年B組金八先生ファイナル〜最後の贈る言葉」(2011年)にも出演。

舞台での代表作は「屋根の上のバイオリン弾き」ですね。ラザール・ウォルフ役を1982年から2005年まで務めています。また主演のテヴィエ役も1986年に勤めました。

奥さんやお子さんについて

上條恒彦さんは1968年に結婚。1969年に長男の恒さん、1970年に次男の契さんが生まれています。2017年8月に「徹子の部屋」にご夫婦でゲスト出演されていますが、その時には奥さまは16歳年下ということなんでたぶん上條恒彦さんは最初の奥さまと離婚か死別されて、今の奥さま「悦子さん」とは再婚と思われます。ですがこの結婚生活もすでに30年以上になっています。

長野への移住

長野県諏訪郡富士見町に現在お住まいの上條恒彦さんご夫妻。1987年に長野への移住を決意したそうですが、その理由は「子育て」のため。当時お子さんは1歳と3歳だったそうですから二人おお子さんは1985年か6年と1983年あたりのお生まれでしょうか。末っ子のお子さんは「駿さん」とおっしゃいます。
三男さんについては名前は分かりませんでした。すでに30歳は超えておられますよね。みなさん芸能活動はされていないようです。

奥さんの「悦子さん」は16歳年下で女優の卵だったそうです。悦子さんはもともと「赤毛のアン」が大好きだったとか。子育てのためと憧れの「赤毛のアン」の世界に憧れて、長野移住を決意したものの、
長野の厳しい冬に不安で泣いた日もあるんだとか。。もともと都会育ちだったのか。。でもその日からすでに30年。田舎暮らしも板についてるんでしょうね。

今はお子さんもみなさん独立されて、ご夫婦ふたりだけの生活です。

現在の活動は?

長野での生活ですが、もちろん芸能活動を続けているのは上記のとおりです。さらに2013年には久しぶりにCDの発売やソロのコンサートも開催したり、今も活躍されています。

最後に

77歳の上條恒彦さんは今でもとてもお元気に活動されています。都会での仕事と田舎暮らしのバランスがいいのでしょうね。たぶんもうお孫さんもいるはず。いつまでも元気で歌声を聞かせていた抱きたいと思います。

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