萩原慎一郎さんの出身校や作品は?家族や恋人についても調べてみた!

こんにちは。

すっかり寒くなってきました。

わたしは11月生まれなんでちょっと肌寒いくらいが好きなんですが

ちょっと物悲しい季節でもありますね。

みなさん短歌を読だことはありますか?

わたしは中学、高校などで授業で作ったことはありますが

本格的にやったことはありません。

5.7.5.7.7.

という限られた文字数の中で自分の思いや世界を表現する

短歌ってすごいと思うし難しそうと思います。

そんな短歌の歌人

萩原慎一郎さんについてご紹介しようと思います。

萩原慎一郎さんはすでに故人です。

しかも32歳という若さで自ら命をたったのです。

萩原慎一郎さんがどういう人物なのか、

どうして自ら命を立ったのか。。

どんな作品を残したのか、、

ご紹介したいと思います。

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萩原慎一郎さんのプロフィール

萩原慎一郎さんは

1984年9月16日生まれ

2017年6月8日にこの世を去りました。

萩原慎一郎さんは東京都杉並区荻窪の生まれです。

その後父親の仕事の関係で京都や香港でなどで生活したあと、

東京都小平市に移ります。

1997年市立の中高一貫校である武蔵中学校に入学します。

武蔵高等学校卒業後

通信制で早稲田大学に入学卒業しています。

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短歌を始めたきっかけは?

中学、高校時代に野球部でいじめをうけていた時期、

歌人の俵万智さんのサイン会が近所の書店で開催されており、

その時に俵万智さんの作品に触れで自分も短歌を作り始めました。

10代のころからさまざまなコンクールに出品、

さまざまな賞を受賞しました。

これまでの受賞

万葉賞(2005年)

角川全国短歌大賞日本歌人クラブ賞(2005年)

与謝野晶子短歌賞姉妹賞(2013年)

第1回近藤芳美賞 選者賞(2014年)

角川全国短歌大賞 準賞(2014年)

第31回朝日歌壇賞(2015年)

全日本短歌大会毎日新聞社賞(2015年)

NHK全国短歌大会特選(2016年)

角川全国短歌大賞日本歌人クラブ賞(2016年)

第4回近藤芳美賞 選者賞(2017年)

角川全国短歌大賞題詠準賞(2017年)

萩原慎一郎さんがいじめを受けるきかけとなったのは

中学の野球部に所属していた時に監督に叱責された時に

萩原慎一郎さんがおどおどとした様子だったのを

他の部員にからかわれたのが

始まりだったようです。

その後放課後に通学カバンがゴミ箱やトイレに置かれたりしました。

心無い言葉もかけられました。

仲良しだった友達も離れていきました。

ほんとに辛かったと思います。

目上の人に怒られればまだ子供なんですから

おどおどしてしまうのはしょうがないことです。

萩原慎一郎さんは結局野球部を退部することになりました。

出身校について

萩原慎一郎さんは先に記載したように

中学高校と一貫校である武蔵中学、

高等学校を卒業しています。

いじめを受けていたと考えると

中学も高校も同じ学校で

たぶん同級生もほとんど同じメンバーだったでしょうから

つらい6年間だったんでんではないかと思います。

大学は通信制だったようですが早稲田大学を卒業されています。

10代で短歌を始めた萩原慎一郎さんは

さまざまな賞を受賞するとともに

塔や未来短歌会などの結社やネット歌会に参加。

さらに同じ早稲田大学卒の

三枝昂之主宰の「短歌結社りとむ短歌会」に所属しました。

同じ短歌を通じた仲間もたくさんいたんではないかと思います。

作品は?

10代の頃からさまざまな作品を発表してきた萩原慎一郎さんですが

大学卒業後、

非正規の社員として働きながら、

正規社員、非正規社員での格差などさまざまな社会の軋轢を感じながら

それを短歌という形で表現してきました。

“今日も雑務で明日も雑務だろうけど 朝になったら出かけてゆくよ”

“非正規の友よ、負けるな僕はただ 書類の整理ばかりしている”

“現実に食われてしまいし夢もあり グローブ捨てて鉛筆握る”

“ローランドゴリラが胸を叩きたり 動物園の檻の絶叫”

“頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく”

“消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ”

“夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

ご家族は?

萩原慎一郎さんのご家族についての

詳しい情報はわかりません。

メディアにはお母様の手記が公表されています。

萩原慎一郎さんの母の手記
「仕事は事務センター所属で、コピー用紙の交換、シュレッダー、広報紙の発送の手伝い、資料の整理などだった。
仕事は一生懸命していたが、時々帰宅後『僕も病気にならなければ』と辛くなることもあった。
非正規雇用であり、いじめが原因の精神的な不調のために、自分が望んでいた仕事につけない悔しさは、時々話していた。」

高校時代のいじめの後遺症で苦しんでいた萩原慎一郎さん。

精神科に通院しながら大学も卒業されたようです。

そんな息子さんを見守り続けたお母さまも

つらい日々だったと思います。

それでも息子さんが短歌を詠み、

作品として評価され、作品集を出版されるまでに至ったことは

きっと多きな喜びであり、

息子さんの慎一郎さんにもこれを励みにしてほしいという思いもあったでしょうに。。

萩原慎一郎さんのお母さまの手記

「『やはり辛い。
普通だったら結婚とか、子どもとか言う年齢だよ。
新卒の人たちが研修中で皆で昼食をとっていたり、赤ちゃんが生まれて連れてきた人を見て落ち込んじゃった。』

私が『これから歌集も出るし、楽しみがいっぱいあるじゃない。
賞も取るんでしょ。慎ちゃんは頑張っているよ。
これから良いことがいっぱいあるよ。』

と話し合うと『そうだね、ありがとう』と落ち着く感じだった。」

恋人は?

萩原慎一郎さんに恋人がいたかどうかは

わかりませんが

恋はしていました。

“かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む”

“作業室にてふたりなり 仕事とは 関係のない話がしたい”

作業室で仕事ではない話がしたいなんて、

自分にもみなさんにも当てはまりますよね。

同じ仕事仲間に恋をする。

きっと毎日どきどきしながらその彼女と仕事をしてきたんでしょうか。。

かっこよくなりたい。

きれいといわれたい。

男女とも恋をいたら芽生える思いです。

少しでも相手に釣り合うような自分になりたい。

この恋はみのらなかったようですが

生きていればきっと他の出会いもあったかもしれません。。

終わりに

萩原慎一郎さんが自ら命を断ったのは

2017年6月8日です。

この日も萩原慎一郎さんは短歌を詠みました。

“あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきた いつかしあわせになると信じて”

作品集である「滑走路」が出版される半年前でした。

2017年12月に出版された作品集

「滑走路」は

『今いるところから少しでも高く飛び立ちたい』

という思いを込めて萩原慎一郎さんがタイトルを決めました。

今この作品集がたくさんの人々に共感されています。

わたしも高齢の親の面倒をみながら非正規な社員として働いています。

わたしの場合年齢的なこともありますが、

地域格差の問題も考えてしまいます。

親御さんのことを考えるととてもつらい気持ちになります。

それでも自死を選ばざる負えなかった息子さんの気持ちを

ご両親もきっと理解されているのではないでしょうか。

ほんとうに生きにくい世の中です。

だからこそ萩原慎一郎さんの詠む歌がたくさんの人々の共感を呼ぶのでしょうか。

きょうも最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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