ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の現在や家族は?賠償金も気になる!

こんにちは。

トミーです。

みなさんは「東電OL殺人事件」というのをご存知ですか?

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事件のあらまし

1997年3月9日に当時、

東京電力で幹部社員として勤務していた

39歳のOLが渋谷の円山町のアパートの一室で

遺体となって発見されました。

殺人事件と断定され、当時、

現場の近くのアパートに住んでいた

ネパール人の男性が犯人として逮捕されました。

この逮捕されたネパール人の男性は

逮捕当時から一貫して無罪を主張していました。

しかし裁判では一審が無罪、二審が無期懲役、

上告は棄却され、有罪が確定しました。

しかし、2005年より再審請求を行い、

2012年無罪が確定しました。

この事件は当時たいへん注目されました。

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注目された理由は

この事件の被害者の女性は

慶応大学を卒業後東京電力に初の女性総合職として入社した

超エリートだったんです。

そんなエリート社員が渋谷のアパートで殺された。

しかも、どうやらこの女性は仕事が終わったあと、

渋谷の街で売春をしていたらしい

という事がわかりました。

年齢も39歳と売春をするような年齢としては高齢である、

おそらく金銭に困っていたわけでも無いらしい。

ではなぜこの女性はそのような街角に立っていたのか。。

その背景に注目が集まりました。

わたしも当時注目していた一人です。

恵まれたエリート人生なのに

なぜ売春?しかもそんな場所で命を奪われて。。

同じ女性としてとても哀れな気持ちをいだきました。

被害者の女性は女性初の総合職ということでしたから

ひょっとしていろいろなストレスから

精神的に追い詰められて、

そんような行動を取っていたのか。。

などさまざまな憶測が飛び交った事件でした。

たぶん現在のようなネット社会にだったら

もっとさまざまな情報が聞こえて来たかもしれません。

今回わたしが注目したのは

この事件の犯人とされて、

15年間もの間刑務所の中で過ごすことになってしまった

ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんの

現在、そして逮捕され刑務所で過ごしていた15年間の思いなど

を調べてみました。

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんについて

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは

ネパールから日本へ出稼ぎのため

1994年に来日しました。

渋谷のアパートの一室に仲間4人とともに共同生活をしながら働いていました。

1997年に東電の女性社員を殺害したとされ逮捕されます。

当時ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは30歳でした。

2000年に東京地裁は、

決定的な証拠に欠けるとして無罪判決を言い渡しましたが、

東京高裁は彼に無期懲役を言い渡しました。

上告は棄却され有罪が確定。

そのまま15年間刑務所で過ごすことに。

その後再審を請求します。

数多くの新しいDNA鑑定による証拠が再審開始につながり、

2012年ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは昨年6月釈放され、

その後11月に無罪判決が確定しました。

決定直後にゴビンダ・プラサド・マイナリさんは強制退去処分となりネパールに帰国しました。

ネパールでゴビンダ・プラサド・マイナリさんは妻と娘二人、そして自身の母親とともに生活していました。

現在は?

2017年ようやく日本への来日が許可され来日されています。

その際ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは文京区民センターで開催された

「くりかえすな冤罪! 市民集会」に出席

「日本は素晴らしい国なのに、

冤罪の人がたくさんいます。

二度と私のような冤罪者を作らないようにしてほしい」などと語っています。

賠償金について

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは

この冤罪の件で国家賠償金が支払われました。

1日あたり最高上限額の1万2500円に拘置日数をかけた総額6800万円でした。

この金額。

日本でも大金ですがネパールではもっと大金です。

賠償金の使いみちについては

インタビューで

「私の留守中に迷惑をかけた兄や妹たちにあげました。

残りは(インド国境に近い)故郷のイラムに今度新しい空港が建設されることになったので、

投資目的で土地を買いました。

あとは運転免許をとって新車を買い、

残ったお金はすべて銀行に預けました」

とのこと。

ネパールの銀行の定期預金の金利は年8%と高く、

生活費のあまりかからないネパールでは利息だけで充分暮らしていけるそうです。

そのことだけは良かったですね。

2017年の来日には奥さまも同行されています。

取材記者とゴビンダ・プラサド・マイナリさんそして奥さま

事件の舞台となった渋谷のアパートを訪れています。

そのアパートも周辺も事件当時とあまり変わっていたなったというから

驚きです。

渋谷のような都会で殺人事件のあった場所が未だに

そのまま残されているとは。。

ちょっと渋谷の闇を垣間見た思いです。

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんも奥さまも

そこに足を踏み入れるのはなかなか勇気のいることだと

思いますが、

一度あの時にもどることで

何かリセットできるのかもしれません。

終わりに。

この事件は被害者の東電勤務の女性にばかり注目が集まっていましたが、

当時犯人が逮捕されたと報道があった時は

「やっぱり客が犯人。しかも外人か~」とやっぱりそういう場所は外人だよね。

とどこか他人事で思ったものです。

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは取り調べでの警察官からの虐待や

刑務所での他の受刑者からの暴力も告発しています。

逮捕されてから一貫して無罪を訴えたゴビンダ・プラサド・マイナリさんは

支援者の協力もあり、15年かかって無罪を勝ち取ることができました。

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの発言を聞くと冤罪ってほんとに

作ろうと思って作るんだとわかります。

「この人間を犯人にしよう」「この人物以外犯人はいない」と

捜査に当たる警察の人間が作り上げて、そう仕向ける。

ほかに冤罪になって後日無罪になった方の発言にも

長時間の取り調べなどで正常な判断力を鈍らせて、

強制的に自白に追い詰められていくと聞いた事があります。

ほんとうに怖いことです。

特にゴビンダ・プラサド・マイナリさんはネパールからの出稼ぎ労働者

しかも不法滞在だったので余計にそう仕向やすかったといえるかも

しれません。

ゴビンダ・プラサド・マイナリさんは貴重な15年を家族と離れ離れになり、

娘さんの成長を見届けることも叶いませんでした。

そして家族も夫、父親が殺人犯として日本で逮捕されたことは

ネパールでも知られており

いじめられたり心無い言葉を投げられたり

してきたそうです。

ご家族に深い心の傷を残しました。

現在、娘さん二人ははすでに嫁いて海外に住んでいるそうです。

そして奥さまと二人の生活になったゴビンダ・プラサド・マイナリさん

無実を信じて待っていてくれた奥さんのためにもこれからは二人、

仲良く暮らして欲しいと思います。

それにしても結局真犯人は捕まっておらずこのままでは

迷宮入りになりそうです。

当時のDNAなどの証拠はたくさん残っているはず、

いつかこの事件の真実が明らかになる日が

来るのか。。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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