こんにちは。トミーです。
先日お亡くなりになった放送作家の草分け永六輔さんのお孫さんが執筆活動?ということで
どんな方か調べてみました。
お名前は永拓実さんとうそうです。
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お祖父さんの永六輔さんのプロフィール
永六輔(えいろくすけ)さんは1933年4月10日生まれで、放送作家、タレント、作詞家として活躍していました。
1933年、代々東京・元浅草の最尊寺の住職を務めていた永忠順さん(1900年~1991年)の息子として生まれます。
江戸時代初期に渡来した中国の学僧を祖父に持つ在日外国人17代目なんだそうです。
そのため、父や祖父は永という姓を「ヨン」と名乗っていたようです。
東京都下谷区(現・台東区)の国民学校に通っていましたが、1944年に学童疎開により長野県北佐久群南大井村の国民学校に転校しています。
そこに通っている間に終戦を迎えました。1946年には長野県立上田中学校に入学していますが、翌年東京に戻り早稲田中学校に2年編入で転校します。
学制改革により新制の早稲田中学校・高等学校となったため3年で高等学校に昇級進学して卒業しました。
高校生の頃からNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」にネタを投稿するようになります。
また、学校をさぼって実家から近い国際劇場を本拠地にしていた松竹歌劇団のレビューを見続けたことが、永六輔さんの放送作家やテレビ演出家の原点になっているようです。
1952年に早稲田大学第二文学部へ入学し、民俗学者であった宮本常一さんの影響を受けます。
在学中に「日曜娯楽版」の発案者である三木鶏郎さんにスカウトされ、トリローグループのメンバーとして放送作家、司会者としてデビューを果たします。
1952年に大学を中退。
その後、ラジオ・テレビ番組の企画・演出・歌曲作詞・タレントなど、マルチプレイヤーとして活動を続けてきました。
特にラジオパーソナリティーとしての知名度が高いようです。
ディズニーの日本語版製作のアルバイトをしていた関係で「わんわん物語」、「バンビ」、「ダンボ」にも声優として出演しています。
1959年に作曲家の中村八大さんからの依頼がきっかけで作詞家として活動を始めています。この年、「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞しました。
1959年~1966年にかけて中村八大さんとのコンビで数々のヒット曲を出しました。1967年以降は作詞活動から後退し、1969年以降は作詞活動から撤退しました。
作詞をやめた理由としては「テレビに出れば何でも流行するのか」と怖くなったことだとされています。
1977年革新自由連合の結成に参加し政治活動にも進出を果たします。1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例代表区から出馬しますが落選しています。
1994年には日本のあちこちの無名の人々の生と死に関する様々な名言を集めた「大往生」を発表します。

2009年に「週刊女性」によって呂律が回らなくなったと報じられ、そのときは加齢と入れ歯のせいだとしていましたが、2010年になってパーキンソン病だということが発覚し、投薬治療を受けていました。
前立腺癌とパーキンソン病と闘病しながら活動を続けていて一時は引退も考えたこともあったといいます。
永六輔さんが83歳の2016年7月7日午後1時57分に東京都内の自宅で死去していたことが同月11日に発表されました。医師によると「死因は肺炎とするが、老衰といっていい状況」ということで、穏やかな最期だったといいます。
長女の永千絵さんは映画エッセイスト、次女の永麻里さんは元フジテレビアナウンサーです。
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永拓実さんのプロフィール
永拓実さんは永六輔さんの4人いる孫のうちの1人です。永六輔さんの娘である永麻里さんの息子として1996年に生まれました。兄は2012年に芸能界デビューを果たした育之助さんです。
國學院久我山高校で名門バスケ部に所属していましたが、怪我により部活が出来なくなってしまい、その鬱憤を勉強にぶつけて東京大学文科二類に現役で合格し、進学しています。大学では国内海外問わず一人旅を多くしていて、2016年にインドでの異文化体験をまとめた作品で、JTB交流文化最優秀賞を受賞しています。
2017年6月30日に永拓実さんは祖父の永六輔さんに関する著書「大遺言 祖父・永六輔の今を生きる36の言葉」で作家デビューを果たしました。
この本の執筆のために大学を1年休学し、関係者約30人に取材をしたといいます。
永六輔さんの言葉の才能を受け継いだ孫・永拓実さんの作品は、多くの人の心に響く作品になっているようですね。
著書について
「大遺言 祖父・永六輔の今を生きる36の言葉」
永六輔さんと親交の深かった黒柳徹子さん、久米宏さん、タモリさん、清水ミチコさんなど数多くの著名人への取材、永六輔さんの著書や手帳などを読み漁り執筆された永六輔さんの即席を辿った本です。
永拓実さんは取材の中で「無駄なことはない。無駄にする人がいるだけだ」という永六輔さんの言葉を見つけます。
永拓実さんは部活が出来なくなり自暴自棄になりましたが、その時間を勉強にあてた結果、東大に合格できたことでこの言葉に強く共感したそうです。
「知識に予算はかからない」
「叱ってくれる人を探す」
「人間関係に順位をつけない」
「人間は今が一番若い」
「生きているだけで面白い」
「笑うことは武器になる」
などの数多くの明言を残している永六輔さんですが、
これだけではない永拓実さんが選び抜いた36の言葉がこの本では紹介されています。

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人生を思いきり楽しく、上を向いて歩いていくための「教科書」となっているようです。
永六輔さんの娘で永拓実さんの母親である永麻里さんのプロフィール
永麻里さんは1961年8月8日生まれです。
慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部人間学科を卒業しています。
高校在学中には、アメリカ合衆国ハワイ州に留学。
大学卒業後の1985年にフジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務していました。
同期には軽部真一さん、三宅正治さん、長野智子さんなどがいます。
1991年~1993年までの2年間ニューヨーク支局に駐在していました。
1993年の帰国後にフジテレビを退社しています。
永六輔さんの娘で次男は東大に現役合格し、永六輔さんの才能を受け継いで作家活動をしているなんて、とてもすごい家系ですね。
永麻里さんにはもう一人息子がいます。長男の育之助さんについても紹介したいと思います!
兄・育之助さんのプロフィール
永拓実さんの兄、育之助さんは1993年10月31日生まれで、イトーカンパニーに所属していて俳優として活躍しています。
趣味は映画鑑賞・スケートボード・作曲。特技はギター・歌。
育之助さんの出演履歴
【映画】
・人狼ゲーム(2014年)
・近距離恋愛(2014年)
・Only 4 you(2015年)
【ドラマ】
・最後から二番目の恋2012秋(2012年)
・BADBOYS(2013年)
・テレビ東京50周年記念特別企画 永遠の0(2015年)
育之助さんが18歳のときに母の麻里さんと共に、芸能活動を始めたことを永六輔さんに報告するために訪れ、「役者の仕事をします。名を汚さないように頑張ります」と報告したそうです。
そのときに永六輔さんからかけられた言葉は「まあ楽しんで」。そのときに育之助さんは「エンターテイメントというのは、みんなを楽しませるものであり、同時に自分も楽しむものだ」と悟ったといいます。
永拓実さんは永六輔さんの「言葉の才能」を、育之助さんは永六輔さんから「エンターテイメントでみんなを楽しませる」ということをそれぞれ受け継いでいるようですね。
今後も永六輔さんの孫である2人の活躍が楽しみです!
最後に
永六輔さんと言えばわたしは小さいころに見たCMがとても印象的でした。
それはあの浅田飴のCMなんですよ。昔は長らく、永六輔さんが「コホンと言ったら浅田飴」ていうキャッチフレーズでCMにご出演されていました。
わたしは浅田飴おじさんと思っていたんですが、その後とても有名な方だということを知りました。
あの名曲「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」は疲れた心を癒してくれる歌詞ですよね。
言葉を大切にし、テレビ創成期からマルチに活動してきた永六輔さん。すでに孫の世代に移りましたが、その才能はしっかり受けつかれているみたいですね。
きっとお孫さんの活躍を星になって見守ってくれていますよね。
きょうも最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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