こんにちは。
みなさんは 歌手で女優の荒木由美子さんご存知ですか?
1977年に『渚のでクロス』でデビューされました。
その後、スポ根ドラマ『燃えろアタック』などで大活躍されましたが、
最近まったくメディアなどで見かけなくなったと思いませんか?!
ご主人さんのこと、子供さんのことも含め、
現在の荒木さんの現在について調べてみました!
なつかし~。
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荒木由美子さんのプロフィールと経歴

氏名:荒木由美子(あらきゆみこ)
生年月日:1960年1月25日生まれ
血液型:B型
出身地:佐賀県神埼郡神埼町(現在の神埼市)出身
身長:153cm
堀越高等学校卒業
荒木由美子さんは1976年に『第1回ホリプロスカウトキャラバン』にて、
審査員特別賞を受賞され、1966年6月10日に、
キャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)から
アイドル歌手デビューされました。
あの榊原郁恵さんと同じオーデションを受けていたんですね。
榊原郁恵さんは「ホリプロスカウトキャラバン」の第一回の優勝者なんですよ。
荒木由美子さんのデビュー曲『渚でクロス』で、オリコン最高50位、
4.4万枚の記録に輝きました♪
わたしは今でも最初のサビのところ歌ます。
『スクランブル交差点、眼と眼がクロス。。』♪
確かこんな歌い出しだったような。。
『フレッシュ3人娘』と呼ばれた榊原郁恵さん·高田みづえさん·清水由貴子さん達と共に、
各音楽賞の新人賞を獲得されました。
その後、荒木由美子さんは司会やドラマなど
数々レギュラーをお持ちになられ、
また女優.タレントに転向。
1979年より放送された荒木さん主演のドラマ『燃えよアタック』で人気沸騰!
ところが、アイドル歌手として大活躍されてきた荒木由美子さんでしたが、
23歳のころにご結婚されて、芸能界をきっぱりと引退。
かなりお若くして引退されたんですね。
少々、勿体ない気もします…
と思いきや、20年にわたり義理のお母様の介護と子育ての日々を送られた後に、
再び芸能界に復帰されています♪
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夫はどんな人?
では、荒木さんのご主人さんについてですが、
1983年に13歳年上の湯原昌幸さんとご結婚されています。
当時「なんでこんなおっちゃんと?!」と思った記憶があります。
湯原昌幸さんといえば、茨城県牛久市出身の歌手でタレント・レポーター・パネラーでいらっしゃいますが、
歌手ソロデビューからセカンドシングルで、『スウィング・ウエスト』時代のヒット曲のリメイク『雨のバラード』が
オリコンチャート1位、62万枚の売り上げに輝いた方ですね。
ところが、その後は、数々の曲を発表したものの『北の盛り場』が少々ヒットしただけで、いまいち売れず…
次には、軽快なMCの経験を生かしお笑いにも挑戦され、
せんだみつおさんとのコンビで『せんみつ・湯原のドット30!』に
出演されて人気再沸騰のきっかけになりました♪
そうなんです。湯原昌幸さんといえば
歌手というよりもお笑いのイメージのほうが強いですね。
また、その一方で、作詞作曲の腕を生かし、
せんだみつおさんにシングル曲「高原の二人」を作曲提供されています。
それから『なるほど!ザ・ワールド』や『わくわく動物ランド』のパネラー、
『なるほど!ザ・ワールド』ではポーターとしても活躍されました。
湯原昌幸さんは2003年には、再度歌手として『冬桜』を発表され、
有線放送から人気に火がつき、数年かけてCD出荷総数が10万枚を超すロングセラーとなりました。
この『冬桜』は、現在でも有線放送に無くてはならない1曲となっているようです。
それもあり、2004年には、『冬桜』にて
第37回日本有線大賞・有線音楽優秀賞を受賞されました。
2008年7月には、『冬桜』の作曲者・すぎもとまさとさんと結成したユニット『ルービー・ブラザーズ』として
『ふたりで竜馬をやろうじゃないか』をリリースされています。
歌手として今でも現役で活躍されていたんですね。
そして2009年11月、妻の荒木由美子さんと共に、
『夫婦力』を出版されました♪
ご一緒に著書されるなんて、本当に仲睦まじいご夫婦なんですね。
羨ましいですねw
13歳も年上のご主人さんなら、
さぞお幸せなんでしょうと思いますが、
それでも少なからずのご苦労もあったのでしょうね…
子供の仕事について
それから、荒木由美子さんと湯原昌幸さんの子供さんについてですが、
調べてみたところ息子さんがいらっしゃるようです。
でも、芸能関係の方ではなく、どうも医師か医療関係者のようです。
結婚後、一年ほどで子供ができましたが、
その前に義理のお母さんの介護もあり、
円形脱毛症にまでなってしまったとの事。
やはり、ご主人さんがしっかりされていても、
逃げて通れない苦労というものもあったんですね。
介護に子育てに、家事にほんとに苦労の年月だったんですね。
介護生活について
先にも少し書いたとおり、結婚後わずか2週間たったころに
66歳の義理のお母さん(湯原さんのお母さん)が糖尿病と診断され、
認知症の徘徊症状も見られるようになり、
介護を強いられることになったようなんです。
それに、2001年には、荒木由美子さんご自身も
死亡率90%と言われる『黒色腫』という癌に侵され、
それらを乗り越えて、20年にわたる介護体験を綴られた
『覚悟の介護』を出版されました。

とにかく本当に壮絶な人生を送られてきたようです。
いろいろな困難に正面から向きあっていてほんとすごいの一言です。
荒木由美子さんのお子さんも介護や病気で苦労している
お母さんを見ているからこそ
医療職を志したのかもしれませんね。
現在の活動について
そして、現在は、介護や出産、癌も乗り越えられて、
逆にそれを武器にし、芸能活動に復帰されています!
テレビやラジオのコメンテーター、他にも講演活動にも活躍さています。
夫婦についてや介護についてを題材にした講演をされているそうです。
もともとお綺麗な方ですし、これまでの介護の経験などから
いろいろなメディアに登場してもきっと話題には困らないでしょうし、
荒木由美子さんはならではのテーマで見る人を引きつけると思います。
少しずつでも、芸能活動に復帰されていると聞き、なんだか安心しました♪
終わりに
波乱万丈な人生を歩んで来られた荒木由美子さん。
本当にご苦労されてきたんですね…
でも、それを乗り越えて来られたのも、
ご主人さんや家族の絆があったからでしょう!
どんな人でも、他人には見えない部分の苦労があり、
それをバネに強く生きられる方も居れば、そうで無い方も居て…
やはり、どんな関係の人であったとしても
『心の支え』になる存在は必要不可欠なんだと思います。
それに、人はいつどうなるか分からないものだという事も、
荒木由美子さんの経験が物語ってくださっています。
なので、毎日を大切に、
いつ何事があっても悔いの無いように過ごしていきたいものですね。
それでもきっとご主人のことを本当に尊敬して大切に思っていたからこそ
できたことだともお思います。
もし夫婦の中がうまくいっていなかったら
20年以上も夫の親の介護なんでできないと思います。
自分の親の介護を献身的に行ってくれた奥さま(荒木由美子さん)
のことをご主人の湯原昌幸さんもきっと感謝の気持ちで
接していたと思います。
ご夫婦の絆あってこその介護生活とも言えますよね。
テレビで拝見する限り体調も良さそうです。
お子さんも手を離れ、これからは夫婦のそしてご自身の時間になります。
50歳はまだまだこれからです。
これからの荒木由美子さんに、更なる幸がありますように♪
荒木由美子さんの主演ドラマ「燃えろアタック」は九州で毎週見ていました。
主題歌は荒木由美子さんではなかったですが今でも歌えます!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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