愛新覚羅慧生(えいせい)の父や妹について!性格や心中相手についても調べてみた!

みなさんは天城山心中事件をご存知ですか?

ラストエンペラーと言われた清朝最後の皇帝で満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀氏の弟さんのお子さんつまり溥儀氏にとっては姪にあたる人物(愛新覚羅慧生さん)と

学習院の学生だった大久保武道氏が天城山の山中で遺体となって発見された事件です。

みなさんは「ラスト・エンペラー」ってご存知ですか? 清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画。 ...

当時から現在に至るまで「心中」として扱われていますが、

どうやら無理心中であったようです。

以下で説明したいと思います。

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天城山心中事件について

天城山心中事件とは、1957年12月10日に、

伊豆半島の天城山で4日前から行方不明となって捜索されていた学習院大学の男子学生である大久保武道さんと、

同級生の愛新覚羅慧生さんの2名が拳銃で頭を撃ち抜いた状態で遺体で発見された事件です。

当時のマスコミで『天国に結ぶ恋』として報道されていました。

慧生さんは大久保さんに腕枕をしてもらうようにしていて、

顔には白いハンカチがかけられていた。

大久保さんは手に旧陸軍14式短銃を握っていて、

慧生さんの右コメカミを撃ったあとに自分も自殺したと見られています。

2人のそばのサルスベリの木には、

2人の爪と頭髪が白い紙に包んで埋められていたそうです。

1958年にはこの事件を題材とした『天城心中 天国に結ぶ恋』という映画が公開されています。

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愛新覚羅慧生とはどんな人?

名前:愛新覚羅慧生(あいしんかくら えいせい)

生年月日:1983年2月26日

出身地:満州国新京市

清及び満州国皇帝である愛新覚羅溥儀の姪にあたる人物です。

満州国の新京で生まれ、翌年に父親が満州国日本大使館に勤務となり、

来日します。

1940年に妹が生まれたあとに新京に戻りましたが、1943年に学習院幼稚園に通うために再び来日します。

神奈川県横浜市にあった母親の実家である嵯峨家に預けられることになります。

慧生さんは学習院初等科、学習院女子中等科、

学習院女子高等科を卒業しています。

大学の進路で東京大学の中国哲学科へ進学を希望していた慧生さんですが、

その年に哲学科を受ける女子が一人のみということもあり、

親族に反対され、学習院大学文学部国文科へ進学が決まります。

同じ学科であった大久保武道さんからの猛アタックもあり交際が始まります。

しかし、大久保さんは他の学生とは異なる風体だったために

慧生さんの家族からは警戒されていて交際を打ち明けられる状態ではなかったようです。

1957年に婚約を決めていますが、

周りからの反対で慧生さんから何度か婚約破棄を持ち出していたといいます。

しかし、その度に大久保さんが自暴自棄になってしまい、

婚約破棄になることはなかったようです。

1957年12月4日に慧生さんは姿を消します。

新聞各紙には『男友達に同情して“プリンセス”心中ー元満州国皇帝のメイ家出』という見出しで記事が出ました。

学習院の同級生や地元の消防団、警察が2人を捜索しますが、

12月10日に地元消防団が2人の遺体を発見しました。

嵯峨家では2人の交際を認めていなかったことから

この事件は慧生さんがピストルで脅され連れ出されたうえでの無理心中、

ストーカー殺人だと主張しています。

父や妹はどんな人?

愛新覚羅慧生さんの父親は愛新覚羅溥儀の実弟です。

名前:愛新覚羅溥傑(あいあしんら ふけつ)

生年月日:1907年4月16日

出身地:清北京

性格は心優しく、とても家族想いの方だったようです。

兄である第12代清朝皇帝に使えていました。

1929年に弟とともに来日し、

日本語の学習後に学習院高等科に入学しています。

日本に留学中の1932年に兄の溥儀が満州国執政となります。

学習院高等科を卒業後は陸軍士官学校本科に入学。

その後見習い士官に任官され、満州国陸軍に入隊しました。

1924年に端康太妃の姪である唐石霞と結婚しますが、

価値観の違いから婚姻生活は自然消滅しました。

満州国皇帝に即位した溥儀は溥傑を日本の皇族女子と結婚させたいと考えていましたが、

制度上叶わず、昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(ひろ)と1937年に結婚することとなります。

2人の結婚は政略結婚でしたが、夫婦仲は円満で2人の子供に恵まれました。

1938年に満州国駐日大使館勤務のために来日します。

1943年には日本の陸軍大学校に入学したためにしばらくの間東京で暮らしていました。

1944年に長女を残して満州国に帰国.長女の慧生さんだけ母の実家に身を寄せていたようです。

太平洋戦争で日本が敗北したことで、満州国は解体を自ら宣言します。

溥儀と溥傑は日本へ逃亡する途中でソ連軍に捕えられ、

強制収容所に収監されました。

その後は中国に送還され、

戦犯収容所で再教育を受け、

1960年に模範囚として釈放。

日中友好の架け橋として活躍しまし

愛新覚羅慧生さんのお母さんの浩(ひろ)さんは

とても美人だったという記録が残っています。

お見合いの席で溥傑(ふけつ)さんのほうが浩さんに

一目惚れしたのではないかという情報もありました。

娘である愛新覚羅慧生さんも美しい人だったようです。

愛新覚羅慧生さんの妹について…

名前:福永こせい(旧姓:愛新覚羅こせい)

生年月日:1940年3月18日

出身地:東京

東京で生まれたあと満州国に帰国しています。

満州国が解体したあと父親とは生き別れてしまい、

母親と1年4ヶ月にわたって中国を流転します。

1947年に日本に引き上げ、神奈川横浜市にあった母親の実家の嵯峨家で育ちます。

学習院初等科、学習院女子中等科、学習院女子高等科、学習院女子短期大学家庭生活科を卒業しています。

968年に嵯峨家と親交の深かった福田家の次男と結婚します。

お子さんは5人だそうです。

現在は日中友好や戦争体験の講演を行っています。

慧生さんの性格は?

慧生さんはとても聡明で優しい性格の方だったようです。

同級生にも分け隔てなく、接することのできる。

まさに本当にお嬢さまだったんでしょうね。

大久保武道しからはそうとうなアプローチを受けて交際をしていたようなので、

いに弱い面もあったかもしれません。

戦後間もない時期なので、まだ家柄など交際や結婚にはそれぞれの家庭が大きく影響していた時代。

慧生さんの家族は大久保氏との交際には大反対だったようなので、

反対されればされるほど気持ちは盛り上がったとも言えるかもしれません。

大久保武道氏はどんな人物だったの?

慧生さんの心中相手だった大久保武道さんはどんな方だったのでしょうか…。

名前:大久保武道(おおくぼ ぶどう)

生年月日:1983年

出身地:青森県八戸市

大久保さんの父親は南部鉄道の役員で

八戸の漁具問屋の経営も行っている裕福な家庭で育ちました。

学習院大学文学部国文科に入学したことを機に上京しています。

大久保さんの風貌は丸坊主で学生帽。

感情と行動に距離がない猪突猛進な性格で学習院大学の学生のなかでは

少し浮いた存在だったようです。

更に、入学当初から死に対する衝動が常にあったとされています。

そのため、いつも一人でいた大久保さんのことを気にかけて話しかけてくれた慧生さんに惹かれます。

大久保さんが慧生さんに手紙を送ったり、

見舞いに行ったりと猛アタックし交際が始まります。

1957年には慧生さんと婚約を決めました。

しかし、死に対しての衝動は治まっていなく、

青森の実家から銃を持ち出して自殺を計画しました。

そして1957年の12月に慧生さんと共に天城山で死亡しているのが発見されました。

新証言について

従来の説は、二人が木の下に寝て、

大久保さんが慧生さんの左のこめかみから発砲。

その後自分の右こめかみに発砲して、二人寄り添って死んだというものでした。

慧生さんの親族は2人の交際を認めておらず、

事件はピストルで脅され連れ出された上での無理心中だと主張しています。

一方、大久保家では2人の同意の上での心中だという認識。

2人の同級生や関係者がマスコミに様々に証言し、

悲劇の純愛物語として映画化もされています。

しかし、近年遺体の第一発見者である地元の消防団の方がが新しい証言をしています。

慧生さんは気に凭れかかるように死んでいて、

2人は別々に横たわっていたという。つまり、

大久保さんが木を背にした慧生さんを撃ち、その後自殺したことになります。

更に慧生さんの親友だった方も新しい証言をしています。

当時2人を捜索していたときに、

2人を乗せたというタクシー運転手から慧生さんが

「帰りましょう」と繰り返し大久保さんを引き止めている様子を聞いたそうです。

慧生さんは山に入る直前まで死にたくなかったことが伺われます。

これらの証言が正しいと大久保さんの無理心中であった可能性が出てきます。

終わりに

純愛心中の話として映画化までされているこの事件ですが、

近年の新証言によって慧生さんの望まない死であった可能性が出てきました。

慧生さんの親族もストーカー殺人だと主張されてますし、

天城山心中事件の真相は一体どのようなものだったのでしょうか。

一人の死に惹かれる男性に捕まってしまった愛新覚羅慧生さん。

この山でもし心中を思いとどまったとしても

大久保氏はけっして愛新覚羅慧生さんを一緒に死ぬまで

離すことはなかったのでは無いかと勝手に想像してしまいました。

いくら新証言が出てこようと本当のところは闇の中ですが、

新しい証言によって少しでも二人の最後の真実に

近づいてくればと思います。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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